沿革

1920年(大正 9年) 創業者廣田喜三が村松鉄鋼所より独立して島田市本通1丁目に廣田鉄工所を創立し、製材機械の修理を開始。
1923年(大正12年) S型テーブル式帯鋸盤の生産を開始。
1941年(昭和16年) 島田市横井町に工場を新設し、各種設備の増強を図る。
1948年(昭和23年) 株式会社廣田帯鋸機械製作所に組織を変更。資本金60万円。
1950年(昭和25年) 手押式送材車が軽便自動式送材車に移行する。
1961〜1963年
(昭和36年〜38年)
2回の増資により資本金1,500万円。
1963年(昭和38年) 東京営業所が独立し、株式会社東京ヒロタを設立。
1964年(昭和39年) 大阪営業所が独立し、株式会社大阪ヒロタを設立。増資により資本金2,500万円。
1967年(昭和42年) フィリピンへ製材ブランド輸出開始。
1968年(昭和43年) 通商産業大臣より輸出貢献企業認定「43東10052号」を受ける。島田市大柳地区に東名工場敷地を取得。
1973〜1974年
(昭和48年〜49年)
パプアニューギニア(ラエ・ブロロ地区)へ大型製材プラントを輸出。
1975年(昭和50年) 東名工場第3工場が完成。
1976年(昭和51年) 第3代取締役社長に廣田哲夫が就任。前社長廣田喜義は会長に就任。
シンガポール、シム・リー社と販売代理店契約を締結し、マレーシア、シンガポール、インドネシアへ本格的な製材プラント輸出を開始。
アストロン900型MD-900車上式、サイリスタ走行装置付全自動送材車を開発。
HS-230型ツイン丸鋸盤(間代材、小径木用)を開発。
自動式高速柱挽専用ツイン帯鋸盤(センターリングフルオートソー)を開発。
1978年(昭和53年) 株式会社廣田帯鋸機械製作所を社名変更し、株式会社ヒロタと改称。
1983年(昭和58年) ソ連向板挽高速製材プラント(23セット)輸出。
1985年(昭和60年) 中国天津製材工場へ大型ツインバンドソー(全自動式)及び送材車セットを輸出。
1986年(昭和61年) ビルマへ丸鋸製材プラントを輸出。
石材用バンドソーの製造、販売権を西ドイツ・カナリー社より買収し、開発を開始。
1989年(平成1年) 第4工場が完成。
東芝製5面加工機(マシニングセンター)を導入、電装室を増設。
1990年(平成2年) 創業70周年を期して、株式会社東京ヒロタと株式会社ヒロタが合併し、新「株式会社ヒロタ」が発足。
資本金5,000万円。
CIを実施し、ロゴタイプ、マーク、コーポレートカラーを一新制定する。
旧株式会社東京ヒロタの社屋跡地にアセット六番町ビル竣工(株式会社ヒロタ東京管理本部を開設)。
1992年(平成4年) カンボジアへ大型製材プラント輸出(シンガポール代理店と共同にて)。
1994年(平成6年) 韓国(釜山)代理店(廣信機械)と韓国マーケットに販売を開始。
米国USNR社と(総括的)業務提携契約を結び、高速製材機(技術)の販売を開始。
1995年(平成7年) 南太平洋(バヌアツ諸島)へ製材プラントを輸出(シンガポール代理店と共同にて)。
1998年(平成10年) 住宅用金具工法加工機分野へ参入(開発開始)。
2000年(平成12年) 南米ウルグアイ林業試験場へ製材設備を輸出。
中国北京不二家装飾有限公司へ製造プラント一式輸出(納入)。
新型粉砕機の製造/販売開始。
住宅用金具加工機の全自動システム(CAD/CAM対応機)完成。
2004年(平成16年) ウッドエナジー(協)〜(宮崎県)へバイオマス発電プラント一式納入。
2005年(平成17年) 最先端製造技術エンジニアリング部門を強化し、中期経営計画の柱とする。
2006年(平成18年) 中国木材鹿島工場(米松製材)へ国内最大級の製材プラントを提携先のUSNR社と共同で納入開始。

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